「横浜道」を散策!!
「横浜道」を散策!!

横浜開港当時の関内と東海道を結んで造られた「横浜道」。。開港当時の様子を表す石碑や建造物も多く、当時にタイムスリップして、、ゆっくりと散策してきました。


☆JR関内駅北口には、開港当時の吉田川(掘割り)に架かる吉田橋の碑があります。イギリス人技師ブラントンが架けた吉田橋「鉄の橋」の錦絵や関内の横浜居留地の地図が描かれていました。ここから、開港当時の横浜の始まり・始まり~!!



☆すぐ隣の橋のたもとには、吉田橋関門跡の石碑が立っています。吉田橋関門が関所となって、居留地に出入りする町人を調べたり、武士が入るのを禁止したところだそうです。
この関門の内側である、今は首都高速横羽線に変った吉田川、北側を流れる大岡川、元町の横を流れる中村川(堀川)の三方と海に囲まれた居留地が関内と呼ばれたそうです。
今の馬車道は関内、伊勢佐木町は関外というわけで、伊勢佐木町といえば、、



馬車道

伊勢佐木町

☆大岡川の一番河口に架けられていたのが都橋です。ここから先は海の入り江となっていたそうで、桜木町やみなとみらい21地区はもちろん海の中!!


☆都橋を渡ると横浜道は野毛に入り、小高い山並みへと続いていきます。明治20年に日本最初の近代水道がイギリス人技師によって横浜に敷設されたといわれています。日本近代水道最古の水道管が野毛の公園に展示されていました。とても厚みがあり、しっかりしていました。
野毛坂に来ると、明治の豪商、平沼専蔵の別邸の敷地を囲む石垣が残っていて、隙間なく正確に積まれた亀甲石積はかなり精巧な造りでした。


☆小高い山中には野毛山不動尊があり、明治初期に成田山の横浜別院として建てられています。現在、崖の石段の上の本堂は全面改築中で、石段下に仮本堂がありました。
同じ時に、伊勢山皇大神宮も隣に移転。この日はちょうど結婚式が行われていました。「おめでとう!!」


☆紅葉坂を挟んで県立青少年センターの前には、開港直後の安政6年(1858年)に神奈川奉行所が設置されているそうです。
隣の小高い掃部山(かもんやま)公園には、横浜開港を決断した江戸幕府の大老、井伊直弼(掃部頭:かもんのかみ)の大きな銅像が海を向いて建っていました。とても凛々しく堂々とした顔つきで、迫力がありました。



☆横浜道をさらに進んで岩亀(がんき)横丁の通りには、岩亀(がんき)稲荷がこじんまりとたたずんでいました。開港当時、横浜では岩亀楼という豪華な楼閣が有名で、その遊女たちの静養する寮が岩亀横丁にあり、寮内に岩亀稲荷をお祀りしていたそうです。
横浜道の路地にはレトロな雰囲気の銭湯「松島館」





うがいと手洗いをして、風邪をひかないようにね!!
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