「横浜初めて物語」を探して!!(No.2)
「横浜初めて物語」を探して!!(No.2)

またまた「横浜が一番」を探しに、神奈川県庁から開港広場周辺を歩いてきました。


今回見つけた「横浜が一番」は、歴史オタク的??な一番が多く、歴史苦手の私は説明を夫に任せたら、ウ~ン・かなり硬~い、カタ~イ・・・。もう少し噛み砕いてほしいッス。。
まだまだ「横浜が一番」はザクザク?ありそう。またさがしま~す。続きはまたいつか!!


☆開港当時、関税や事務を扱う役所として、「神奈川運上所」が、現在の神奈川県庁所在地に設けられたそうです。その後、明治になって横浜税関へと改められていくようです。県庁の一角に石碑が建っています。


☆旧外国人居留地90番地にあるスイスの商社「シーベル・ブレンワルト商会」が、明治維新の時に武器を輸入していて、その武器が戊辰戦争で使われたそうです。
武器輸入を記念して、オランダ東印度会社の戦艦の大砲がこの商社に備え付けられていたとのことです。関東大震災で埋まった大砲が掘り出され、開港広場の片隅にあります。


☆安政元年(1854年)に日米の代表が、現在の神奈川県庁付近の建物で和親条約を締結したそうです。この条約締結によって日本の開国が促され、歴史的舞台となっていくのですね。日米和親条約締結の碑も開港広場に建っています。


☆明治10年代に旧外国人居留地一帯で、レンガ造りのマンホールとレンガや陶器の下水管が整備されたそうです。レンガの下水管は卵形で、日本人の設計による我が国初の近代下水施設と言われています。フムフム!!
開港広場のこの位置で発見されて、そのままの状態で保存されていて、ガラス窓を通して当時のマンホールが覗けます。開港広場は「横浜が一番」がいっぱい、恐るべし!!



☆この時計塔は、明治の半ば頃に大桟橋付近に設置されたポールをデザインしたものと言われています。暴風雨の際にポールに旗を掲げて港付近の船に信号を送っていたそうです。この時計塔も開港広場の片隅に建っています。


寒い日がもう少し続きます!!風邪ひかないでね!!
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